和歌

菅原道真が京の都を追われて大宰府に流されたときに梅の木との別れを惜しんで
詠んだという歌。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
私はずっとこう覚えていたのですが、最近クイズ番組などでは
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
と出てくるので、なんでだろう?と不思議だったんです。
Wikiで調べたところ

(初出の『拾遺和歌集』による表記。後世、「春な忘れそ」とも書かれるようになった)

だそうです。
「春な忘れそ」は「な〜そ」の<禁止懇願の構文>の例としても覚えていたので
とてもショック。
というか人の歌をなんで勝手に変えるの?
持統天皇の「春過ぎて〜」の歌も小倉百人一首ではそれまでの歌集に収められたものと
違う言葉遣い(「夏来(きた)るらし」→「夏来にけらし」)になっていて謎だったのですが、
これもWikiを見た所、万葉集なので万葉仮名で書かれているのですね。

「春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山」
春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山(定訓)
春過ぎて夏ぞ來ぬらし白妙の衣かはかすあまのかぐ山(古来風躰抄)


「春すぎて夏來にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」(小倉百人一首

普通によんだら定訓の読み方になりますよね。百人一首の読み方にはならないと思うけどな。
ということは、道真は平安時代だけど男だから当然漢文で書いていて、それを
どう読み上げたかは当時の人に聞かないとわからないのかな。
うーん、奥が深い。