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アップルのジョブズ氏死去
なんというニュース。まだ若いのに。
実家に初めてやってきたパソコンはMacintoshだった。
無機質な文字が並ぶだけだったそれまでのコンピュータとは全く違う、
その独特のGUIには驚いたし、とても楽しいものだった。
そんな事もあり、アップル社とジョブズ氏には(ウォズニアック氏にも)少なからぬ思い入れがある。
長い間癌を患って闘病生活を続けていたそうだが、とうとう亡くなられたとのこと。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
RIP. Steven Paul Jobs

アップルのジョブズ氏死去、革新を主導したカリスマ創業者
CNN.co.jp 10月6日(木)10時42分配信
(CNN) 米アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が5日、死去した。56歳だった。シリコンバレーのガレージで創業した同社を世界的な大企業に成長させ、iPhoneなどの製品を次々にヒットさせてモバイルコンピューティングの革新を主導してきたパイオニアが逝った。
長年にわたってがんとの闘病を続け、8月に「もはや職務と期待を果たせなくなった」としてアップル最高経営責任者(CEO)を退いていた。
アップルは、「スティーブの才能、情熱、活力は、私たちの生活を豊かにし、向上させてきた数え切れない革新の源だった。スティーブのおかげで世界は計り知れないほど良くなった」との談話を発表した。
ジョブズ氏はパーソナルコンピューターの概念と、画面のアイコンをマウスでクリックする操作方法を定着させた草分け的存在だった。近年では携帯音楽プレーヤーの「iPod」、スマートフォンの「iPhone」、タブレット型多機能端末「iPad」を次々に送り出し、デジタル時代におけるコンテンツ消費の在り方を一変させた。その発明で業界を塗り替えてきた才能を、レオナルド・ダ・ヴィンチにたとえる声もある。
1955年2月24日に生まれ、後にアップルの本社が置かれるカリフォルニア州クパチーノで育った。幼いころから電子機器に興味を示し、10代で当時のヒューレット・パッカード(HP)社長だったヒューレット氏に電話して学校の課題のための部品を所望、部品とHPでのアルバイトを手に入れたというエピソードもある。
オレゴン州のリード大学は1学期のみでドロップアウト。ゲーム会社のアタリに就職したがこの仕事もやめて、バックパックを背負ってインド各地を旅行した。後にこの時の経験で創造性が培われたと振り返っている。
HP時代に知り合ったスティーブ・ウォズニアック氏とともに、21歳でアップル・コンピュータを創業。1976年には両親の自宅のガレージで同社初の製品「アップル1」を完成させる。666.66ドルで売り出されたこの商品はキーボードもディスプレイもなく、ユーザーが自分で組み立てなければならなかった。
アップルの主力商品となる「マッキントッシュ」は1984年に発売され、売れ行きは好調だった。しかし唯我独尊のジョブズ氏が同僚と衝突することも多く、86年には権力争いの末に、アップルを退社した。
その後経営不振に陥ったアップルに96年に復帰し、翌年、CEOに就任。2001年に発表したiPodを大ヒットさせてアップルの再建を果たし、その後10年でiTunes(03年)、iPhone(07)、App Store(08年)、iPad(10年)などのヒット商品を次々に送り出して業界をあっと言わせた。
製品の発表イベントではカリスマ的な存在感でファンを熱狂させる一方、社内では人使いが荒く、商品の細部にまでこだわって、気に入らない試作品は容赦なく退けるやりにくい上司との評判も確立した。
アップル株式の時価総額は2011年夏に一時的にエクソン・モービルを抜き、世界で最も価値ある企業となった。
しかしこうした成功の影には健康問題が付きまとった。2004年にすい臓がんの治療を受けていたことを明かし、激痩せした姿で発表会に現れて株価の急落を招いた。09年には肝臓移植手術を受け、今年1月から病気療養のため休暇に入っていた。
11月にはジョブズ氏公認の初の伝記が出版される。
最終更新:10月6日(木)13時12分