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寛仁さまご逝去
「ひげの殿下」こと寛仁親王殿下ご逝去とのこと。
父宮の三笠宮殿下もご存命だというのに、惜しまれてならない。
度重なる癌との闘いでさぞお辛い思いもなさっていたであろうことを考えると
もしかしたらやっとゆっくりお休みになれるということかもしれない。
しかしながら66歳という年齢はいかにも早すぎるとしか申し上げられない。残念だ。
殿下のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

寛仁さまご逝去=66歳、多臓器不全で―福祉やスポーツ、現場で活躍
時事通信 6月7日(木)0時45分配信
 昭和天皇の末弟三笠宮さま(96)の長男で、「ひげの殿下」の愛称で親しまれた三笠宮家の寛仁(ともひと)さまが6日午後3時35分、多臓器不全のため、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂病院(東京都千代田区)で亡くなられた。66歳だった。葬儀は文京区の豊島岡墓地で営まれる予定で、宮内庁は日取りや形式について検討を始めた。天皇陛下のいとこに当たり、皇位継承順位は6位だった。
 ご逝去を受け宮内庁で行われた会見によると、寛仁さまは、母親の三笠宮妃百合子さま(89)と姉の近衛※(※=寧の皿丁が用)子(やすこ)さん(68)、長女の彬子(あきこ)さま(30)、次女の瑶子さま(28)にみとられた。遺言書があることも明らかにされた。ご遺体は同日夕、東京・元赤坂の寛仁親王邸に戻った。
 寛仁さまは昨年12月、顎の右下部にがんが見つかり、同病院に入院。今年1月10日、切除手術を受けた。その後、食べ物が通りにくくなる通過障害が生じ、3月2日に喉頭の軟骨を切除した。今月1日、口や鼻から出血。宮内庁は5日深夜、腎臓や肺、肝臓の機能、意識状態が低下し、輸血や投薬などの治療を受けていると発表した。1991年の食道がん手術以降、がん関連の手術は16回に上っていた。
 公務では、福祉やスポーツ、青少年育成、国際親善に活躍し、特にスキー指導などを通した身体障害者の福祉に力を注いだ。皇族としては型破りで、ラジオのディスクジョッキーや雑誌などで皇族論をはじめユニークな考えを披露。82年には「障害者問題などに専念したい」として、突然「皇籍離脱」を宣言したこともあった。2008年に喉頭をふさぐ手術の結果、自力で声を出せなくなり、人工喉頭を使って公務を行っていた。07年にはアルコール依存症であることを公表した。 
最終更新:6月7日(木)0時45分