フィギュアスケート

織田信成、号泣で引退表明「違う道で頑張っていこうと…」
織田選手も現役引退を表明。年齢を考えると、五輪に出られなければ
その後の目標を見つけられなかったのかな。
チャプリンのような軽快な演技がとても強く印象に残っている。
本田・田村両選手の後、日本男子を引っ張ってきたのは高橋選手と
この織田選手だと思う。
本当にお疲れ様でした。




織田信成、号泣で引退表明「違う道で頑張っていこうと…」
デイリースポーツ 12月24日(火)20時57分配信
 フィギュアスケートの14年ソチ五輪代表らによる全日本選手権エキシビションが24日、さいたまスーパー行われた。終了後、全日本4位に終わり、五輪代表入りを逃した織田信成(26)=関大大学院=が現役引退を表明した。
 号泣しながら登場した織田は「今日を持ちまして、現役生活を退く決意をしました。四大陸の代表に選ばれていましたが、若い選手に頑張ってもらいたい」と、絞り出した。その後、五輪代表の真央、高橋ら同じ時代を戦った仲間たちがリンクに現れ、みんな涙流しながら、抱擁を交わした。

 「五輪、世界選手権の代表になれなかったことで思いが強くなった。若い選手も強くなっている。今が引き際かなと思い、決断しました。幸せなスケート人生でした」。

 戦国武将・織田信成の末裔。一部からは『殿』の愛称で親しまれた。先祖の存在が重荷になったこともある。それでも「最初は抵抗がありました。でも、そのおかげでフィギュアを知ってくれて、僕のスケートを見てくれる人もいた。自分の名前も得だったのかなと思う」と、いつしか感謝することが多くなっていった。この日、現役最後に滑ったプログラムは『ラストサムライ』。渾身の演技を先祖に捧げた。

 世界大会ではあと一歩頂点には届かなかった。加えて05年トリノ五輪の選考会では採点ミスにより順位が入れ替わり五輪行きを逃した。ジャンプの回数ミスや、バンクーバー五輪で靴ひもが切れたこと。不運などで涙を流すことも多く、信長同様に天下統一はならなかった。ただ、それでもこの日、自身のスケート人生を「『泣かぬなら泣きに泣きますホトトギス』かな。涙が印象的なスケーターだったと思う」と、総括。ライバルとして常に比較された高橋大輔の存在にも「大ちゃんがいてくれたから、自分も頑張れた。ライバルとしても人としても尊敬できる。一緒に同じ時代にスケートができてよかった」と、感謝した。
 今後はまず大学院の卒業が目標。将来的にはコーチとして後進の指導にあたる予定だ。私生活では2児の父。自身が母憲子さんとともに歩んできただけに、“将来”の期待も高まる。「五輪で金メダルを取れる選手を育てたい。自分が届かなかった分、力を入れて頑張りたい。2人の息子たちが、もし選択してくれるなら、自分の成績を超えて欲しい」と、楽しそうに笑った。
 コミカルな演技と、愛くるしいキャラクターで日本男子をけん引してきた26歳。織田らしい“涙”と“笑顔”で、競技生活に別れを告げた。
最終更新:12月24日(火)21時57分