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「ベルリンの壁を開放した」元国境警察官、25年前を回想


ベルリンの壁が破られてから11月9日で25年。ベルリンでは記念式典が行われた。
海外のドキュメンタリー等で見たが、あの日の開放は穏やかに行われたそうだ。
その時ゲートを開けて人々を通行させた旧東ドイツの国境警察隊員だった氏の話。
壁を越えようとして命を落とした人々のことを思うと涙が出てくる。
今の自由というのはそれを手に入れるために戦った人たちの犠牲の上に成り立っているのだな。

ベルリンの壁を開放した」元国境警察官、25年前を回想
AFP=時事 11月9日(日)17時31分配信
【AFP=時事】ドイツの首都ベルリン(Berlin)北方のベルノイシン(Werneuchen)にある小さなアパートで暮らすハラルト・イエーガー(Harald Jaeger)氏(71)は、本人は否定するものの、「ベルリンの壁(Berlin Wall)を開放した男」と呼ばれている。
 かつて東ドイツ共産主義体制に忠誠を尽くす国境警察の隊員だったイエーガー氏は、それでも「壁を開いたのは私ではない。あの夜に集まった東ドイツの人々だ」と謙遜する。
 1989年11月9日の夜、東西ベルリンを隔てるボルンホルマー通り(Bornholmer Strasse)の検問所は、上司からの明確な指令もなく、完全な混乱状態に陥っていた。そんな中、とっさの判断でゲートを開いたのがイエーガー氏だった。
 夜を通して興奮状態で殺到してきた東ドイツの人々は、厳しい寒さの中、西ベルリンへとなだれ込んだ。冷戦のシンボルであり、28年間にわたってベルリンを分断していた「鉄のカーテン」は、こうして平和裏に打ち倒された。
■あのとき何が起きたのか
 軍の中佐であり、秘密警察シュタージ(Stasi)にも所属していた彼は当時、28年にわたって国境警察で勤務し、ボルンホルマー通り検問所の副所長を務めていた。
 25年が経った今もイエーガー氏は、群衆が集まるきっかけとなった言葉を耳にした時の衝撃を思い出すという。
 共産党の高官が突然、東ドイツの国民は「すぐさま、滞りなく」外国を訪れることができるとテレビ放送で宣言したのだ。
 AFPのインタビューに対して「パンがのどに詰まりそうになったよ」と話す彼は、「自分の耳が信じられず、『いま一体、どんなばかげた話が発表されたんだ? 』とつぶやいた」と話す。
■何の指令もなし
 東ドイツ国民による抗議行動はそれまで数週間にわたって続いており、その規模は膨れあがりつつあった。11月9日の夜も、検問所は警戒態勢にあった。しかしイエーガー氏は、新たな歴史が作られる夜になるという兆候は何もなかったと話す。
 午後6時に、仕事を終わらせて帰宅する上司から14人の部下を引き継いだ彼は、普段通りの勤務になるものと思っていたという。
 だが、食堂で夕食を取りながらテレビを見ていると、事態は急速に変化した。西側への旅行を許可する声明が唐突にテレビから流れたのだ。
 イエーガー氏が急いで持ち場に戻って事態を説明すると、同僚たちは最初、聞き間違いではないかと疑った。彼は、状況が明確になることを願って上司に電話をかけた。
 だが上司は「そんな馬鹿げたことのために電話してきたのか? 」とぼやいて、国境を通過するために必要な旅行許可証を持っていない者は追い返すよう、命令を出した。
 検問所の外では、最初は少しずつ集まって来た人々の集団が徐々に膨らみ、「通せ! 」との叫び声が上がり始めた。
 パニックになったイエーガー氏は再度上司に電話したが、「上から何の命令も受け取ってない。君に与える指示はない」と言われただけだったという。
 その後も群衆は膨らみ続け、午後9時ごろまでには国境検問所へと続く道が人で埋め尽くされた。
 イエーガー氏は再び電話を取り、「何かしなければ」と叫んだという。
■「一滴の血を流すこともなく」
 ほどなくしてイエーガー氏は、事態の鎮静化を狙い、群衆の中で最も激昂していた人々を特定し、彼らだけを西側へ通すようにとの指令を受けた。
「だが逆効果だった。群衆はますます激昂した」と話すイエーガー氏は、殺到した人々が将棋倒しになることを恐れていた。
「その時、『今が行動すべき時だ。何が起ころうと、国民を西側へと通さなければならない』との思いが頭をよぎった」
 そして午後11時半ごろ、彼は「ゲートを開け! 」という、運命を決する命令を発した。
 最初、部下たちはその場で呆然と立ち尽くしていた。彼は再び命令を繰り返した。
 ソファーに座りながら当時を回想するイエーガー氏は、25年が経った今も、赤と白の遮断機が上がる光景を思い出すと感情が揺さぶられるという。
「人々があのような幸福感に包まれたのを見たのは、後にも先にもあの夜だけだ」とイエーガー氏は微笑みながら話す。だが彼は、あの夜に集まった人々の力こそが称賛に値するとすぐに付け加えた。
「唯一私の功績と言えるものがあるとするなら、それは一滴の血も流さなかったということだろう」
 11月10日の早朝、勤務時間が終了したイエーガー氏は姉に電話をかけた。
「昨晩、国境を開いたのは僕なんだ」と話すと、姉は「よくやったわね」と答えたという。
【翻訳編集】 AFPBB News
最終更新:11月10日(月)0時25分