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古河太四郎生誕170周年。


古河 太四郎(ふるかわ たしろう、弘化2年2月20日(1845年3月27日) - 明治40年(1907年)12月26日)は、京都盲唖院(後の京都府立盲学校・京都府聾学校)を創設し、近代日本における視覚障害教育・聴覚障害教育の黎明期をリードした教育者。また、鷹峯・紅葉谷庭園の前身である灌漑池をつくった人物。
1875年、彼が寺子屋の教師であった時代に聾唖の生徒が日常的に使用していた手話に着目し、体系的な機能を持つ言語としての教授用の手話を考察した。この際に考案された指文字のような表現方法を取る「手勢(しかた)法」が現在、標準手話として制定されている日本手話の原型となっている。
また、彼は聾唖教育を振り返った手記で以下のように述べており、 教育の重要性を語っている。

ろうあ者は自由に行動すべきであるし、又、行動させないようにしてはいけない。そして、ろうあ者が教育を受けられないということを『不幸な出来事』と言うのではなく、寧ろ、教育をしない者の責任である。教育をキチンとやっていれば、ろうあ者だといって他人から軽蔑されることもないし、本人自身、恥ずかしがることではない。

—古河太四郎(東京人権啓発企業連絡会より)


Wikipediaより〜