訃報

橘家圓蔵さん死去 81歳 黒縁眼鏡となぞかけで人気
ポワロの声 熊倉一雄さん死去 88歳


昭和が遠くなり、昭和のTVで活躍した方々が次々に逝ってしまわれる。
橘家圓蔵さんも熊倉一雄さんも、私が子供のころからおなじみの方たちだ。
傘寿米寿という年齢を考えたら決して早すぎるということはないのだろうけれど、
それでも残念でならない。
お二方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

橘家圓蔵さん死去 81歳 黒縁眼鏡となぞかけで人気
スポニチアネックス 10月16日(金)12時38分配信
 一般社団法人落語協会相談役の橘家圓蔵(たちばなや・えんぞう、本名・大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日午前3時30分、心室細動のため死去した。81歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で執り行った。
 52年に七代目橘家円蔵に入門、橘家竹蔵を名乗る。65年に真打ちに昇進、三代目月の家円鏡(えんきょう)となった。60年代から80年代にかけて「ヨイショの圓鏡」と呼ばれ人気に。トレードマークの黒縁眼鏡、得意のなぞかけと軽妙な語り口で落語家としてだけでなく、テレビCM、映画、ラジオのDJなども務め、「うちのセツコが…」のギャグが大当たりとなった。
 78年の落語界内紛のときには、師匠の七代目円蔵らとともに一度は落語協会脱退を表明したが、定席を求めてすぐに協会に復帰。82年に八代目橘家円蔵を襲名した。「うまいのは(古今亭)志ん朝、(立川)談志は達者。だからアタシは面白い落語家を目指す」が口ぐせで、どこまでも面白さを追求した。
 最近では高齢のため、口調にきれがなくなり、3年前から高座の出演は控えていた。
 ▼三遊亭円歌さんの話 いつも誰かを喜ばせなくてはと考えている人だった。楽屋に入るとパーッと明るくなる。偉くなってもキャーキャー騒いでいた。そういう方はなかなかいません。落語は、聴いているうちに忘れてしまうことが多いが、お客さまが覚えて帰ってくれるはなしをするのが魅力です。亡くなってしまうとあの芸がなくなってしまう。それが残念です。ご冥福をお祈りします。
 ▼落語協会顧問の三遊亭金馬さんの話 ずいぶん会わなかったのでびっくりしている。テレビやラジオで忙しい時期もあったが、彼の落語は筋にこだわらない八方破れのところが面白い。お客も人情話ではなく、腹を抱えるほど笑わせてくれるのを期待した。その無鉄砲さが魅力だった。亡くなって寂しい。
最終更新:10月16日(金)14時29分

「ポワロ」の声・熊倉一雄さん死去 「鬼太郎」主題歌も大ヒット
デイリースポーツ 10月16日(金)21時12分配信
 俳優・演出家で、イギリスの人気ドラマ「名探偵ポワロ」の声や人気アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の歌で知られる熊倉一雄(くまくら・かずお)さんが12日午後3時24分、直腸癌のため都内の病院で亡くなった。88歳。16日、テアトルエコーが公表した。
 東京・麻布出身。旧制都立高校(現都立大)在学中の20歳の時に初めて舞台に立ち、芝居と音楽に魅せられ、1956年(昭和31年)に劇団テアトル・エコーに参加。独特の鼻にかかった声質や表現力が評価され、57年(昭和32年)から放送された日本テレビヒッチコック劇場」でヒッチコックの声を担当。これが当たり役となり、64年(昭和39年)にはNHK「ひょっこりひょうたん島」で海賊トラヒゲの声優を務めた。
 89年(平成元年)からスタートした人気シリーズ「名探偵ポワロ」では主人公エルキュール・ポワロの吹き替えを担当していた。
 歌手として、69年に発売された「ゲゲゲの鬼太郎」主題歌も歌唱し、大ヒットとなった。公式ホームページには「役者に定年なし」という言葉が残されている。
 テアトル・エコー代表。葬儀は親族のみで執り行われるとし、12月1日午後2時から恵比寿・エコー劇場でお別れの会が催される。
最終更新:10月16日(金)23時31分