訃報

ピアニストの中村紘子さん死去=ショパンコンクール入賞−72歳
九重親方が死去=「ウルフ」千代の富士−61歳・大相撲





-還暦の土俵入りを終え、記者会見で笑顔を見せる九重親方(元横綱千代の富士)=2015年5月31日、東京・両国国技館
 


先日の中村紘子さんの訃報に続き、元横綱千代の富士の訃報が届いた。
お二人とも闘病中だったということで、ある程度の覚悟はあったのだろう。
しかし。惜しい人を亡くしたという言葉しか出てこない。
お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ピアニストの中村紘子さん死去=ショパンコンクール入賞−72歳
時事ドットコム
 ショパン国際ピアノコンクールに入賞し、日本を代表するピアニストとして活躍した中村紘子(なかむら・ひろこ=本名福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが26日午後10時25分、大腸がんのため東京都港区の自宅で死去した。72歳だった。葬儀は近親者で行った。後日、お別れの会を行う予定。喪主は夫で作家の庄司薫(しょうじ・かおる、本名福田章二=ふくだ・しょうじ)氏。
 山梨県生まれ。幼時からピアノを習い、小澤征爾さん、堤剛さんらと共に桐朋学園「子供のための音楽教室」第1期生となった。
 全日本学生コンクールの小学生、中学生部門で続けて優勝、「天才少女」として知られるように。1959年日本音楽コンクールで1位特賞。翌年にはNHK交響楽団などと共演した。
 その後、米ジュリアード音楽院へ留学。65年の第7回ショパンコンクールマルタ・アルゲリッチ優勝)で、日本人としては10年ぶり二人目の入賞(4位)と最年少賞を受けた。
 以降、トップピアニストとして国内外で演奏活動を展開。古典派からロマン派に至るレパートリーを軸に、華麗な技巧と豊かな感情表現で多くの聴衆を魅了した。
 チャイコフスキーショパンなど国際的コンクールの審査員として後進の指導にも尽力。浜松国際ピアノコンクールの審査委員長を務め、短期間で世界レベルの競技会にレベルアップさせた。
 自身の体験を基に執筆活動も行い、89年「チャイコフスキー・コンクール」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。華やかな容姿と親しみやすい語り口で、音楽番組の司会やテレビCMでも人気を博した。 
 2008年紫綬褒章、09年日本芸術院賞恩賜賞。15年1月に大腸がん治療のため、演奏活動の一時中断を発表。その後、復帰と休養を繰り返し、今年4月に東京交響楽団と協演。5月8日に兵庫県洲本市で行ったリサイタルが最後の公の舞台となった。
(2016/07/29-01:38)

九重親方が死去=「ウルフ」千代の富士−61歳・大相撲
時事ドットコム
 大相撲で31度の優勝を遂げ、「ウルフ」の愛称で国民的な人気を集めた元横綱千代の富士九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。61歳だった。昨年9月に、がんの手術を受けたことを明らかにしていた。葬儀は7日正午から東京都墨田区石原4の22の4の九重部屋で。喪主は妻久美子(くみこ)さん。
 北海道福島町出身。元横綱千代の山が師匠の九重部屋に入門し、1970年秋場所初土俵を踏んだ。74年九州場所新十両、翌年秋場所で新入幕を果たした。
 新入幕時で100キロそこそこの軽量ながら、中学時代は陸上競技でも活躍した身体能力を生かして出世。しかし、強引な投げに頼る取り口が災いし、肩を脱臼するなど低迷した時期もあった。筋力強化を図りながら、相撲を前まわしを引いて出るスタイルに改めてけがを克服。81年初場所、優勝決定戦で北の湖を破って初優勝を果たし、大関昇進を決めた。
 引き締まった筋肉質の体に精悍(せいかん)な顔立ち。卓越したスピード相撲に加え、当意即妙のコメントも人気に拍車をかけ、「ウルフフィーバー」を巻き起こした。81年名古屋場所で2度目の優勝を遂げ、場所後に58人目の横綱に昇進した。
 北の湖の引退後、30代に入って絶頂期を迎え、86年夏場所から5場所連続優勝。88年夏場所7日目からは、双葉山の69連勝に次いで昭和以降で当時2番目の長さとなる53連勝をマークした。九州場所は特に強く、81年から8連覇。89年には相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した。91年夏場所、初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に金星を与えると、3日目の取組後に現役引退を表明した。
 優勝回数は白鵬の37、大鵬の32に続く歴代3位。通算1045勝(437敗159休)は魁皇に次ぐ2位、幕内807勝は3位。横綱在位59場所は、北の湖の63場所に次ぐ2位の記録を残した。
 親方としては九重部屋を継承し、大関千代大海(現佐ノ山親方)らを育てた。日本相撲協会では審判、巡業、事業などの各部長を歴任した。
(2016/07/31-22:52)