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日章旗の返還相次ぐ 終戦71年、米国など機運高まる

日章旗の返還相次ぐ 終戦71年、米国など機運高まる
静岡新聞アットエス
(2016/8/15 17:00)
 太平洋戦争で戦地に赴いた人が所持していた日章旗が遺族の元に相次ぎ返還されている。元米兵らが戦利品として持ち帰るなど長年異国の地にあったが、大切な遺品だと知る人が増えたり、所有者が高齢化したりして返還を望む気持ちが高まっているためとみられる。15日は71年目の終戦の日。遺品と「再会」を果たした静岡県内の遺族は亡き人の面影をしのび、平和への思いを新たにしている。
 「本人が帰ってきたのと同じ。よく戻ってきてくれた」。掛川市の中山一二さん(88)は22歳で戦死した兄の日章旗を見つめ、目を潤ませた。
 「武運長久」とはなむけの言葉が書かれた日章旗。米国の博物館に展示されていたが、米国の民間団体「OBONソサエティ」から県遺族会を通じて連絡があり、今年7月に返還が実現した。
 一二さんの兄は1941年に出征。海軍に志願し、43年に南洋諸島で亡くなった。戦死の知らせは受けたが、遺品や遺骨は戻ってこなかった。それだけに「感謝しかない」と一二さん。おいの武さん(64)も「ふるさとに戻りたいといういちずな思いが通じた」と目を細めた。
 浜松市天竜区水窪町の桜下ひさ子さん(82)の元には昨年、満州からフィリピンへ航海中に命を落とした義兄(享年23)の日章旗が届いた。「帰ってきたことは奇跡」と万感の思いに浸る。保存状態が良く、無事を祈った親族や知人ら約150人分の署名が記されている。毎朝、義兄の遺影に手を合わせるひさ子さん。旗は普段、仏壇にしまっているが「このお盆は旗を出してしのびたい」と語る。
 OBONソサエティは2009年から日章旗の返還活動を始め、これまでに70枚余りを遺族の元に届けた。県内では7枚が返還された。保管していた元米兵が他界し、遺品を整理した親族らが返還を申し出るケースが多いという。
 広報担当者は「戦後70年の節目などで旗の意味を知り、本来あるべき場所に返そうという機運が高まっている。遺品の返還で、本当の意味で戦争に終止符を打ちたいと考えているのでは」と話す。