訃報

三笠宮さま薨去される 天皇陛下の叔父、100歳
【三笠宮さま薨去】ご子息3方を見送られる 厳格な姿勢も温かい家庭
三笠宮さま逝去=100歳、昭和天皇末弟−歴史学者として活躍

崩御:ほうぎょ。天皇、皇后、皇太后が亡くなられたとき。
薨去:こうきょ。皇族の方が亡くなられたとき。
逝去:せいきょ。一般の人が亡くなったとき。














三笠宮さま薨去される 天皇陛下の叔父、100歳
2016.10.27 09:24更新
産経新聞
 大正天皇の第4皇男子で、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下が27日午前8時34分、入院していた東京都中央区聖路加国際病院薨去(こうきょ)された。100歳で、皇位継承順位は第5位であられた。三笠宮さまの薨去により、皇室は19方、皇位継承資格者は4方となった。
 三笠宮さまは平成24年に心臓の僧帽(そうぼう)弁が十分に機能しないために血液が逆流する鬱血性心不全と診断され、96歳でご手術。今年5月16日に急性肺炎で同病院に入院された後、心機能の低下が確認され、体調悪化が懸念されていた。

三笠宮さま薨去】ご子息3方を見送られる 厳格な姿勢も温かい家庭
2016.10.27 22:52更新
産経新聞
 気さくで穏やかな人柄から「大殿下(おおでんか)」と呼ばれた三笠宮さまは、5人のお子さまに恵まれた。軍隊経験に基づく厳格な姿勢を貫く中で温かい家庭を築かれ、3人の親王方はいずれも独立してそれぞれの道を歩み、精力的に公務に取り組まれた。しかしその後は不幸にも、親王方全員に先立たれていた。
 平成14年11月には三男の高円宮さまが室内球技のスカッシュ中に突然倒れ、心室細動のため47歳の若さで薨去。約10年後の24年6月には、度重なるがんの手術を乗り越えてきた長男の寛仁(ともひと)親王殿下も亡くなられた。葬儀が営まれた同月には、翌日から入院された。
 三笠宮さまは、寛仁さまの本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」に車いすで参列したが、非常に悲しみ、涙を流されていたという。住まいから葬場へ向かう寛仁さまを見送る際には、体調不良を訴えて座り込まれる場面もあった。
 次男の桂宮さまは昭和63年5月に宮邸の寝室で倒れ、右半身まひなどの障害が残り、長年、車いすでご生活。平成20年9月に敗血症を発症してからは懸命に闘病生活を送っていたが、26年6月に薨去された。

三笠宮さま逝去=100歳、昭和天皇末弟−歴史学者として活躍
時事通信ドットコム
 昭和天皇の末弟、天皇陛下の叔父で、古代オリエント史の研究者としても知られる三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日午前8時34分、心不全のため、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。100歳だった。皇位継承順位は第5位で、明治以降の皇族では最高齢。本葬に当たる「斂葬(れんそう)の儀」は文京区の豊島岡墓地で営まれる。宮内庁は日取りなどの検討を始めた。
 三笠宮さまは急性肺炎と診断され、5月16日から聖路加国際病院に入院していた。逝去を受けて、宮内庁では名川弘一皇室医務主管、加地隆治宮務主管が記者会見した。
 名川氏らによると、入院後1カ月ほどで急性肺炎の症状はおさまり、6月以降は低下した心臓機能の治療が中心となっていた。8月に一時容体が悪化したが、その後回復。27日午前7時40分ごろまで体調は安定していたが、徐々に心臓の拍動が遅くなり、同8時ごろ心停止に陥った。同病院に検査入院中だった同妃百合子さま(93)が最期をみとったという。
 1915年12月2日、大正天皇の四男として誕生。称号は澄宮(すみのみや)。学習院初等科、同中等科を経て陸軍士官学校陸軍大学校を卒業。成年を迎えた35年に三笠宮家を創立し、41年10月に子爵・故高木正得氏の次女百合子さまと結婚。太平洋戦争中の43年1月から1年間、支那派遣軍総司令部参謀として中国・南京に赴任し、終戦時は陸軍少佐だった。
 戦後、東大文学部の研究生となり、古代オリエント史研究者の道を歩んだ。日本オリエント学会の初代会長を務め、東京女子大青山学院大の講師、東京芸術大の客員教授などとして教壇に立ち、テレビやラジオなどにも出演。歴史学者の立場から、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で廃止された紀元節復活の動きに反対したほか、戦争末期の44年に陸軍を批判した文書が後に見つかり、反響を呼んだ。
 中近東文化センター名誉総裁、日本・トルコ協会名誉総裁などを務め、国際親善をはじめ、さまざまな分野に貢献。ダンスにも親しみ、普及に尽力した。著書は「帝王と墓と民衆」「古代オリエント史と私」「わが歴史研究の七十年」など多数。 
 百合子さまとの間に長男の故寛仁(ともひと)さま、次男の故桂宮さま、三男の故高円宮さま、長女の近衛※子(※ウカンムリの下に心その下に用)さん、次女の千容子さんの5人のお子さまをもうけ、2002年11月に高円宮さま、12年6月に寛仁さま、14年6月に桂宮さまを亡くした。百合子さまの叔父は昭和天皇侍従長を務めた故入江相政氏。
 11年に結婚70年を迎え、96歳だった12年7月に心臓の僧帽弁の機能回復手術を受けた。15年に100歳を迎えていた。今年1月2日には、皇居で行われた新年の一般参賀に出席。トルコへ赴任する大使と4月8日に宮邸で接見したのが最後の公務となった。
(2016/10/27-13:48)