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中村勘三郎さん死去 家族無念…「癌晴って参りました」
勘九郎、涙の口上「父は無念だと思う」仁左衛門ら居並ぶ俳優も客席も涙


茶目っ気があって、粋で、品があって、洒落の効いた大人という感じの素敵な方だった。
まだまだやりたいことがいくつもおありだっただろうに。
必ず舞台に戻るのだという強い気持ちで闘病生活を続けていらしたそうだ。
その思いが叶わず、さぞや無念なことだろう。
まだお若いのに残念でならない。歌舞伎界だけでなく日本の宝といえる人物だった。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

中村勘三郎さん死去 家族無念…「癌晴って参りました」
オリコン 12月5日(水)10時37分配信
 古典から新作まで幅広く活躍した人気歌舞伎俳優の中村勘三郎(本名:波野哲朗)さんが5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため死去した。57歳だった。勘三郎さんは6月に初期の食道がんを公表。7月末に食道がんの摘出手術を受け療養していたが、11月に肺に疾患が見つかり舞台復帰を来春以降に延期すると発表し「がんの転移ではない」と説明していた。5日、勘三郎さんの妻・波野好江さん、長男の中村勘九郎、次男・中村七之助は連名でFAXでコメントを発表した。以下は全文。


 皆様へ


 中村勘三郎は、7月27日、患った食道がんの手術をしていただきました。
 12時間に及ぶ大手術となりましたが、手術は成功し、術後経過も順調で病棟内を歩くほどに回復しました。
 しかし、経過中に肺炎を発症し、その後、肺炎による呼吸不全が進行するという事態に陥りました。この肺炎による呼吸不全は思いのほか、重症であり、呼吸不全に対する専門的な治療を行える病院へと、二度にわたり転院をし、考え得る最高の治療をしていただきました。
 本人も病気に立ち向かい、手術から約4か月に及ぶ闘病が続きました。
 その間、来年4月の歌舞伎座こけら落しに出演することを、心の依り所とし、癌晴って参りました。
 医療スタッフの方々も懸命な治療をなさって下さいました。
 けれども遂に、回復する事は叶わず、無念の内に、本日12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため永眠いたしました。
 生前、中村勘三郎を長くご贔屓頂いたことを心より感謝いたします。
最終更新:12月5日(水)12時37分

勘九郎、涙の口上「父は無念だと思う」仁左衛門ら居並ぶ俳優も客席も涙
デイリースポーツ 12月5日(水)19時25分配信
 5日に亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さんの息子の中村勘九郎(31)と七之助(29)が同日、京都・南座で気丈に舞台を務め、勘九郎は自身の襲名披露公演の口上をしっかりと述べた。
 勘九郎は「父が46年間、名乗り、戦い、魂こもりし勘九郎名跡を6代目として襲名することになりました」とあいさつ。「一緒に芝居も、親孝行も、話も、飲みたい酒も、いっぱいやり残したことがあります。でも悔しいと思っているのは父。大好きな芝居ができず、お客様の笑顔が見られず、父は無念だと思う。父のことを忘れないでください」と涙ながらに客席に語りかけた。
 口上に並んだ市川団十郎は「(勘三郎さんは)しめっぽいのを嫌う。最後まで明るくやりましょう」とあいさつ。片岡仁左衛門は「(勘三郎さんは)会場のどこかにいて息子の芝居を見守っていると思います」と述べた。勘三郎さんの義弟・中村橋之助は「これからも中村一門をよろしくお願いします」と語った。片岡我當は何度も涙をぬぐい、片岡秀太郎中村時蔵、中村彌十郎中村扇雀らは涙をこらえ切れず、肩を震わせて号泣。客席もあちらこちらですすり泣く声が聞こえた。
 勘九郎七之助はこの日午前9時過ぎにタクシーで到着。報道陣の問いかけには答えず、無言で足早に楽屋口に向かった。父の敵を討つ話がテーマの「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」で勘九郎は、父を襲ったがんの敵討ちとばかり、鬼気迫る演技で観客を圧倒した。
 隈(くま)取りの化粧で花道から、ドンドンと足を踏み鳴らしながら登場した勘九郎。花道で一度、見えを切ると会場からは温かい拍手が起こった。
最終更新:12月5日(水)20時30分