訃報

愛川欽也さん壮絶死…がん脊髄転移、最期まで「仕事行こう」


最後の最後まで仕事を続けられて、しかも周囲の人にそれと気づかれずにできたというのは
ある意味とても幸せだったのかもしれない。
PPK(ぴんぴんころり)とはちょっと違うかもしれないけれど、近いものを感じる。
長い間お疲れ様でした。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

愛川欽也さん壮絶死…がん脊髄転移、最期まで「仕事行こう」
日刊ゲンダイ 4月17日(金)15時1分配信
「キンキン」の愛称で親しまれ、テレビ東京出没!アド街ック天国」の司会や俳優として活躍した愛川欽也(本名・井川敏明)さんが15日午前5時過ぎに自宅で亡くなっていたことが分かった。80歳だった。妻でタレントのうつみ宮土理(71)や家族の意向で、17日都内で密葬が営まれ、荼毘に付された。
 17日午前、愛川の所属事務所はコメントを発表。それによると、昨年冬から体調に不安を訴えるようになり、検査をしたところ肺がんであることが判明。本人の希望によって入院はせず、在宅での治療を続けてきたという。「根っからの仕事人間であった愛川は肺がんを発症した以降も仕事に情熱を燃やしており、息を引き取る直前まで『仕事に行こう』と寝言のように申しておりました」と記されている。
 愛川は3月に20年間司会を務めてきた「アド街」を降板。肺がんを患っていたが、病名を公表せず、仕事を続けてきた。妻のうつみは周囲を心配させまいと「風邪」と説明してきたが、がんは脊髄にも転移しており、今月になって容体が悪化。いよいよ歩行もままならなくなり、治療に専念することにしたという。今月3日には自宅に介護用ベッドや医療器具が運び込まれる様子が伝えられた。15日昼ごろに渋谷区の自宅から誰かが救急搬送される様子が目撃されたことから、たくさんのマスコミが自宅前に詰めかけていた。

 愛川は埼玉県随一の進学校浦和高校出身。東大→弁護士の道も描いていたというが、高校時代に映画館に入り浸り、俳優の道へ。故菅原文太の相棒“やもめのジョナサン”こと松下金造役で出演した「トラック野郎シリーズ」が大ヒットした。
 74年からは日本テレビ「11PM」の司会としても人気になり、バラエティーに進出。楠田枝里子とコンビを組んだ「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ)は15年間、「おまっとさんでした」の名ゼリフが有名になった「アド街ック天国」ではメーン司会を20年間務め上げ、14年には「世界最高齢の情報番組司会者」にギネス認定された。
 おしどり夫婦として知られるうつみとは、78年11月、前妻との離婚が成立した翌日に再婚して話題になった。09年には小劇場「キンケロ・シアター」をオープン。自分を慕う「劇団キンキン塾」のメンバー育成に“余生”を費やそうとしていた矢先の訃報だった。
最終更新:4月17日(金)16時48分