訃報

<訃報>谷桃子さん94歳=バレリーナの代名詞的存在


谷先生の訃報が届いた。
直接ご指導いただいたことはないけれど、日本のバレエ界ではとても大きな存在だった方だ。
長い間、ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

<訃報>谷桃子さん94歳=バレリーナの代名詞的存在
毎日新聞 4月27日(月)21時16分配信
 戦後バレエブームを巻き起こすなど、日本バレエ界の発展を担った谷桃子(たに・ももこ、本名・上田桃子=うえだ・ももこ)さんが26日、敗血症のため川崎市内の病院で死去した。94歳。通夜は5月2日午後6時、葬儀は同3日午前10時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妹伊達ナナ(だて・なな)さん。
 兵庫県姫路市出身。モダンダンサーとして日劇などで活動し、終戦後に舞踊家の小牧正英に入門、クラシックバレエに転向した。愛くるしい容姿と叙情あふれる演技は踊り手の理想とされ、バレエブームを巻き起こした。小牧との結婚、離婚を経て1949年、東京都内に「谷桃子バレエ団」を設立。パリへ留学後、帰国記念公演として55年に「白鳥の湖」を成功させ、バレリーナの代名詞的存在となった。以来、「ドン・キホーテ日本初演などの主役を次々に務め、中でも「ジゼル」を当たり役とした。作家の三島由紀夫に「軽やかさ、その憂愁、そのエレガンス」と評されるなど、芸術界全般に及ぼした影響は大きい。
 74年に現役を退いてからは、振り付けや後進の指導に手腕を発揮。古典作品を上演する一方、創作に力を注いでバレエの発展に尽くした。2003〜06年、日本バレエ協会会長。国際コンクールの審査員も務めた。現在は、同バレエ団の総監督を務めていた。
 84年紫綬褒章。93年勲四等宝冠章
 ◇バレエ評論家の谷孝子さんの話
 戦後間もない1950年代ごろ、日本でバレエといえば谷桃子だった。当時の日本では彼女が最高のバレリーナだった。指導者としての功績も大きい。彼女の指導を受けて独立した人が全国にいる。
最終更新:4月27日(月)22時59分