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キューバのカストロ前国家評議会議長が死去、90歳


-キューバのグランマ県で開かれた1953年7月26日のモンカダ兵舎襲撃53周年の記念式典で演説し、空を見上げるキューバフィデル・カストロ国家評議会議長(2006年7月26日撮影、肩書は当時、資料写真)。(c)AFP/ADALBERTO ROQUE


キューバカストロ国家評議会議長が死去、90歳
2016年11月26日 16:27 発信地:ハバナ/キューバ
【11月26日 AFP】(更新)20世紀後半において世界を代表する指導者の一人で極めて大きな影響力を持っていたキューバフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長が25日夜、同国の首都ハバナ(Havana)で死去した。90歳。
 弟のラウル・カストロ(Raul Castro国家評議会議長が、日付が変わった直後に国営テレビで「キューバ革命の最高司令官が(25日)午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)に死去したと述べ、前議長の意思に従って遺体は現地時間26日に火葬されると明らかにした。
 政界から決して退かないと話していたフィデル・カストロ氏だが、2006年7月に腸の緊急手術を受け、権力を弟のラウル・カストロ氏に移譲した。
 ラウル氏はカストロ前議長が取っていた米政府への敵対的な方針を転換し、2014年12月にバラク・オバマBarack Obama米大統領との間で米国との国交正常化交渉を始めると発表して世界を驚かせた。
 しわだらけのオリーブ色の服、ほつれたあごひげ、健康上の理由で諦めざるを得なかった葉巻で有名だったカストロ前議長は、国内の反体制派には厳しい締め付けを続けた一方、国外に向けては自身を米政府への反抗者として位置づけた。
 国交が正常化した際にオバマ大統領は、キューバで民主主義と欧米流の経済改革を育てるために、キューバの体制を倒そうとして数十年に及んだ米国の対キューバ制裁は失敗したと認め、キューバ国民を支援する別の方法を試す時が来たと述べた。
 キューバ国民が困窮生活を続けて、かつて自身が率いた革命が輝きを失ったとしても、カストロ前議長は最終的に「政治的なにらみ合い」のゲームで勝利を収めた。
(c)AFP