楽曲における言葉の存在意義

・・・などと堅苦しくタイトルをつけてしまいましたが
事の発端は椣平氏(id:shidehira)の7/29付けの日記
(http://d.hatena.ne.jp/shidehira/20050729)
において、ブルーハーツリンダリンダ」について書いた記事
に対しての氏の記述にあります。それを読んで大いに思うところがあり
私自身の考えをまとめていたら、コメントするには長くなって
しまいそうだったので、自分のところで書いてみることにしました。


私は歌を「1.言葉 2.メロディ 3.歌手の力量」という感じで聴く&
歌う人なので、椣平氏が日記中で言及されている『一度でもこの歌の
詞を噛み締めたことがある人間なら、こんな文章は書けはしないだろう
という言葉には強く共感しました。あの曲は「魂の叫び」であって
「みんなで盛り上がる」だけの曲ではないと思うのです。
アップテンポでノリが良いから、ついそうなってしまうのでしょうが。
テンポの良い曲だと、歌詞は適当にはめこんだだけで歌ってしまう人が多く
常日頃残念に思っていました。勿論楽曲を提供する側にも問題はあると
思いますが。最近ありがちなのが、意味不明の英語らしき言葉の羅列
英語としてすら成立していないものを日本語の歌に入れて何の意味が
あるのでしょうか?甚だ疑問です。
言葉に意味を持たせないのならば「歌」である必要は最早ないと思うのです。
インストゥルメンタルでよろしい。それでも心は伝えられるはず。
現実に言葉を持たない名曲はたくさんある。クラシックに限った話ではなく
現代音楽でも同様。
でも「言葉にして伝えたい」ことがあるから、メロディだけでなくそこに
詞が存在しているのでしょう。それ故、歌を歌う人は(例えそれがカラオケ
だったとしても)歌詞の意味を一度は考えてから歌って欲しいと思います。
単なる娯楽だと捉えている人には全く意味のわからない主張だとは思いますが。
意味を伴わない言葉は、雑音でしかありません。もしも全く知らない外国語で
歌われたとしても、歌い手がきちんとそこに意味をこめて歌っていれば
自然と心は伝わるものです。


同様の理由で、原詩と意味の全く異なる訳詞を当てはめた翻訳ソング
(というのか?)は大嫌いです。昔の歌にはたくさんあったけど。
例えば、エディット・ピアフが歌った「愛の賛歌」。これをある日本人が
翻訳して、日本語のシャンソンとして大ヒットしました。が、この訳は
原詩とは全く異なるものです。日本語詞は甘い甘い脳天気な言葉で
綴られていますが、原詩はもっと激しい情熱の歌です。
「もしも空が落ちてきても、地面がひっくり返っても、あなたが私を
愛してくれるなら、そんなこと大したことじゃない。あなたが望むなら
金髪にもする。泥棒だってする。あなたが私を愛してくれるなら。
例えあなたが死んで遠くに行っても、そんなこと大したことじゃない。
あなたが私を愛してくれるなら。だって私も死ぬから。二人は永遠に
一緒。天国でまた神様が愛し合う二人を結び合わせてくれるでしょう」
こんな感じです。私の抄訳なので、乱暴ですが。
こちらに元の詞が載っています。midiで音が流れるのでご注意を。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-popular/ainosanka.htm


長々偉そうに語ってしまいました。異論、反論、どうぞ遠慮なく書いてください。