訃報

今井雅之さん壮絶死


今いくよさん急死


三味線漫才の暁照雄さんが死去


連日の訃報。なぜこんなに立て続けに。
あまりにもショックで言葉も出ない。
ただただ故人のご冥福を心よりお祈り申し上げる。

今井雅之さん壮絶死 54歳、大腸がん 容体急変に最期は笑み
スポニチアネックス 5月29日(金)7時2分配信
 4月に末期がんを公表し、闘病していた俳優の今井雅之(いまい・まさゆき)さんが28日午前3時5分、大腸がんのため東京都内の病院で死去した。54歳。兵庫県出身。「病には勝てませんでした」と明かした主演舞台「THE WINDS OF GOD」の降板会見から28日。主演映画の計画も進み、「せめて秋まで生きさせて」と話していたが、願いはかなわなかった。舞台の製作サイドが後日、お別れの会を検討している。
 転院を重ね、6つ目の入院先で容体が急変したのは23日。大好物だったスイカなどフルーツも喉を通らなくなり、鼻にチューブを通して点滴を投与。痛みを和らげようとモルヒネを投与しても効果はなく、関係者によると「激痛で苦しそうだった。4月の会見時よりもさらに痩せ細っていた」。この2〜3日は昏睡(こんすい)状態が続き、最期は妻と看護師の姉にみとられながら息を引き取った。「あれだけ苦しんだのに亡くなっても歯を見せ、にこやかに笑顔を浮かべていた」(関係者)という。遺体は実家のある兵庫県内に移送され、29日以降に密葬が営まれる。
 元自衛隊員で体には自信があり、昨年までは大病を患ったことがなかった。今井さんによると「病院にかかったのは骨折した時ぐらい。健康診断もやってなかった」。それだけに、昨年の精密検査でがんが見つかった時は医師から「ここまで進行するには10年かかる」「すぐに手術をしないと、あと3日しか持たない」と伝えられた。
 それでも「必ず治して舞台に立つ」と希望を捨てず、2月23日には主演舞台「THE WINDS OF GOD」の製作発表に出席。この時点で「体重が20キロ減った」と明かしながらも、がんは公表していなかった。
 その後も回復は見られず、外出時は車椅子が必要となり、声を出すのもつらくなった。別の病院に移り、抗がん剤投与を再開すると、副作用で食事をしても嘔吐(おうと)。30分おきに休まないと動くのがつらく、寝ることが多くなって筋力が衰えた。
 舞台は代役を立て、開幕前夜の4月30日に会見。かすれた声で「病には勝てませんでした」と語り、別人のように痩せ細っていた。今月5日には入院先から新国立劇場を訪れて舞台あいさつ。「病人ではなく役者として、ここに立ちたかった。今は3分も立っていられない」と小さな声を振り絞った。
 秋には主演映画の撮影を控えていたため「仕事が生きるモチベーション」「運命は受け入れる。ただ、秋までは生きさせて」と話していた。


 今井 雅之(いまい・まさゆき)1961年(昭36)4月21日、兵庫県城崎郡日高町生まれ。映画「THE WINDS OF GOD」「静かな生活」で95年のキネマ旬報賞新人男優賞受賞。1メートル78。
最終更新:5月29日(金)21時38分

今いくよさん急死 相方くるよ憔悴、コメントも出来ず 抗がん剤治療で舞台立ち続け
夕刊フジ 5月29日(金)16時56分配信
 本格派のしゃべくり漫才で、80年代のマンザイブームの一翼を担った女性漫才コンビ今いくよ・くるよ」の今いくよ(いま・いくよ、本名・里谷正子=さとや・まさこ)さんが28日午後5時58分、胃がんのため、入院先の大阪府内の病院で死去した。67歳。京都府出身。身内のみで密葬を執り行い、後日「お別れの会」を開く予定。昨年9月に胃がんが見つかり、治療を続けながら舞台に立ち続けていた。
 5月11日のなんばグランド花月大阪市中央区)での出番が最後の舞台となったいくよさん。所属事務所によると、抗がん剤治療などを行うため、一時的に大阪府内の病院に入院していたが、容体が急変。相方のくるよたちに看取られながら、静かに息を引き取ったという。
 昨年9月7日、出番を終えた後、体調不良を訴えたいくよさん。大阪府内の病院で精密検査を受けた結果、胃がんが見つかったという。しかし、手術はせずに抗がん剤治療を続けることを選択。3カ月後の12月には舞台に復帰していた。以降も抗がん剤治療のため、入退院を繰り返して、闘病を続けていた。
 復帰の舞台では「がんとは長いお付き合い。今まで彼氏と付き合った期間よりも長いですよ。何年かかるかわからない」と笑いを交えながら、病気と闘っていく思いを語っていた。
 京都明徳高時代には、ソフトボール部に所属していたいくよさん。1970年、チームメートだった同級生のくるよと、今喜多代さん(故人)に弟子入りした。
 当初はなかなか売れなかったが、80年代に頭角を現し、同級生ならではの息のあった掛け合い漫才で、「いくくる」の愛称で親しまれ、くるよの「どやさ」や、いくよさんの「くるよちゃん、こんなところから足出して」といったギャグで、お茶の間の人気を集めた。
 81年には上方お笑い大賞金賞、82年には花王名人大賞最優秀新人賞、そして84年には上方漫才大賞を受賞するなど、実力派としてもしられた。
 関係者によると、相方のくるよは、いくよさんの復帰後も闘病生活をサポート。相方を看取った直後とあって、落ち込みが激しく、憔悴しきっており、コメントもできない様子だという。
最終更新:5月29日(金)18時49分

三味線漫才の暁照雄さんが死去 78歳
オリコン 5月29日(金)13時33分配信
 三味線漫才コンビ暁照雄・光雄の照雄さん(あかつき てるお/本名 浜田登志夫)が29日午前4時32分、下咽頭がんのため大阪市内の病院で死去した。78歳だった。所属事務所がFAXを通じて発表した。
 照雄さんは、昭和25年6月、浪曲の二代目東洋軒雷右衛門に入門し、東洋軒雷坊の芸名で初舞台を踏む。昭和34年4月、神戸松竹座でリーダーの宮川左近、松島一夫、高島和夫とともに「宮川左近ショウ」を結成し、昭和47年第7回上方漫才大賞を受賞。昭和61年の解散後の翌年に弟子の光夫とコンビを結成。平成20年文化庁芸術祭賞大衆演芸部門大賞を受賞。平成25年「暁照雄・光雄」に改名した。
 葬儀は、故人の意思により近親者のみで執り行われる。
最終更新:5月29日(金)15時55分