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イタリア中部でM6.2の地震 「町が半分なくなった」


-アマトリーチェの消防当局による空撮写真が、被害の規模を表している



大変な被害状況だ。
一人でも多くの方が助かりますように。

イタリア中部でM6.2の地震 「町が半分なくなった」
2016年08月24日
BBC.com

イタリア中部で24日午前3時36分(日本時間午前10時36分)、大きな地震があった。米地質調査所(USGS)によると、地震の規模はマグニチュード(M)6.2。震源の深さは10キロと浅かった。イタリア当局によると、少なくとも37人が死亡し、150人が行方不明で、大勢が瓦礫の下に閉じ込められている。

地震の中心は首都ローマから北東約100キロの位置で、アンブリア、ラツィオ、マルケの各州が影響を受けた。ローマでは20秒にわたり一部の建物が揺れ、北はボローニャから南はナポリまで揺れが感じられたという。余震の回数は80回以上。
死者の多くは、ほとんどすべての建物が倒壊したペスカラ・デル・トロント村に集中している。子供を含む10人の死亡が確認され、20人が病院に運ばれた。犠牲者数はさらに増える恐れもある。
アンサ通信によると、村では4歳と7歳の男の子が、祖母と一緒にいた家の下から救出された。2人はベッドの下に隠れていたという。
近くのアルカタ・デル・トロント村でも被害の報告があり、さらに東に数キロ離れたペラッキア・ディ・アクア・サンタ・テルメ村にはまだ救助作業員が入れずにいる。


リエティ県アマトリーチェでは、少なくとも5人が死亡した。セルジオ・ピロッツィ町長は、国営RAIラジオに被害は甚大だと話した。
「町に至る道路は寸断された。町が半分なくなった。瓦礫の下には複数の人がいる(略)土砂崩れがあり、橋が崩壊するかもしれない」と町長は説明し、「がれきの下には何十人もの被害者が埋まっている。遺体を収容する場所を用意している」と被害の大きさを語った。
町の中央通りは破壊され、救助作業員が崩れた建物から6人を救出しようとしている。


アマトリーチェの北にあるアックモリのステファノ・ペトルッキ町長は、6人が死亡したと述べた。「1人は夜の間に瓦礫から運び出された。また倒壊した家屋の下に家族4人が閉じ込められており、残念ながらそのうち2人は幼い子供だ」。
アックモリでは地元カメラマンが、15人の救助作業員が素手で、家族を助け出そうとしていたと話した。
「母親と子供1人の悲鳴が聞こえるからだ」とカメラマンは話した。
このほか自宅に閉じ込められた58歳男性の救出作業が続いているという。
中部アンブリア地方のリナ・メルカンティニさんはロイター通信に対して、「とても強い揺れで、まるでベッドが私たちを乗せたまま、部屋の中を勝手に歩き回っているみたいだった」と話した。
USGSによると、震源地はアンブリア地方のノルチア。美しい旧市街は観光客に人気だ。ノルチアのニコラ・アレマンノ市長は、犠牲者の報告は受けていないと明らかにし、「耐震構造の建物は倒壊を免れた。歴史的建物には被害があるが、重傷者がいるという情報はない」と話した。


イタリアの市民保護局は、「甚大」な地震だとして、余震に警戒するよう呼びかけている。
地震学者アンドレア・テルトゥリアニ氏は、複数の余震が続いて次第に揺れは小さくなっていくだろうが、「同じくらいの規模の大きな揺れの可能性も排除できない」と警告した。
2009年4月に中部ラクイラで起きたM6.3の地震では、300人以上が死亡している。


<解説>なぜイタリアで地震被害が多いのか――ジョナサン・エイモス
イタリアのアペニン山脈沿いに住む人は、地震の危険と常に隣り合わせだ。
24日早朝の揺れに匹敵する地震によって、数百年の間に数千人が死亡してきた。この危険に対して現代イタリアは、耐震性の高い建物を造り、危機に十分に備えることで対応してきた。
地中海地域の地震頻度は、アフリカとユーラシアのプレート衝突によって決まる。ただし今回の地震の詳細な原因となると、からみあう要因はさらに複雑だ。
イタリアの本土とサルデーニャ島およびコルシカ島の間のティレニア海盆が徐々に広がりつつある。
この動きがアペニン山脈沿いの拡張、もしくは分離分割を助長していると科学者たちは言う。さらに東のアドリア海の動きも、地形へのストレスに寄与しているという。
その結果、山脈に沿って大きな活断層が生じ、その脇には複数の小さい活断層がいくつも伸びている。
ペルージアやラクイラなどの都市は、いずれもこの上にあるのだ。


(英語記事 Earthquake strikes central Italy